NHK大河ドラマ『麒麟がくる』最終回を見ました。
私としては、平成24年の『平清盛』以来8年ぶりに毎回見た大河でした。前半見なかった回もあったけど、中盤以降は全部見ました。

そして最終回…。

いくつか注目していた点がありましたが、なんといっても重要なのは「本能寺の変の理由」でしょう。
信長が天下に手が届くにつれて暴走してゆき、いろんな人が信長を見切ってゆく…誰も出来なかった信長の排除を光秀に期待する。そこまでは予想どおりでした。ただ、光秀が最後の最後に謀叛を決意した「引き金」が何かあるはずだ、それは何だろうと楽しみにしていました。

謀叛を心に秘めながらも、迷い悩むはずの光秀の心を最後に動かすものは何か。先週時点で私は、「光秀自身が信長に討たれる運命に追い込まれる」のではないかと思っていました。

「足利義昭を殺せ」という命令。これが引き金でした。予想外でした。「そうきたか!」と思いました。これは実行できません。

誰にもわからない本能寺の変の本当の理由、それをどう描くかも注目点でしたが、逆に誰もが知っている本能寺の変そのものをどう描くのかも注目点でした。
「明日の戦のことなど考えずに長く眠りたい」と信長が光秀に漏らした言葉。これも「うわ~そうきたか…」と思いました。絶え間ない戦や家臣の裏切りに、信長自身疲れていたんですね。爆走イメージばかりの信長がこのタイミングでこんな言葉を漏らすとは…。

そして本能寺。有名な「是非に及ばず」のセリフ、「人間五十年」の敦盛は謡うのか…など注目点はありましたが、「是非もなし」という言葉が出ました。この言葉に、これだけ「情」を込めてきたのは初めて見ました。信長ってのは、良くも悪くもドライな印象なので、自分自身の運命に関してもドライに受け止めるイメージがありました。この信長は違いましたね。

私も、昔SNSに書いた自分の小説の中で本能寺を書いたことがあります。そのとき、「是非に及ばず」というセリフに込めた信長の気持ちはこんな感じでした。

(あの緻密な光秀がこんな大事件を計画したのだから、逃げ延びられる可能性は万に一つもない。どうすべきか考えることなどすでにない。もう全ては決まったのだ。それならば、この最後の戦、どうせなら思い切り楽しんでやろう)

これはこれで自分で納得している信長像なんですが、麒麟の信長は光秀との心のつながりが深いだけに、言葉で言い尽くせない情のこもった「是非もなし」になりました。

「敦盛」を謡わなかったのは尺の都合なのか、信長の最後の最後はあえて引っぱりたくなかったのかもしれません。かつて大河ドラマ『秀吉』では、「神が死ぬか」と言って自刎するという最後まで重厚な信長でしたが、そういったシーンを出さずに、自刎したあとの遺体を映したのは、前述の「明日の戦のことなど考えずに長く眠りたい」と重なって、すごく悲しいシーンでした。まさに眠るような信長でした。

光秀の最期をどう描くか…これは最終回のラストシーンになるので、作り手としてはある意味、一番難しいところです。

山崎の戦いで無残に敗北するシーンはなく、さっさとナレーションで片付けました。ここは、光秀の最期を丹念に描くか、逆にあえてさらっと描くかの二者択一で、中途半端が一番悪いと思います。さらっと描くほうを選びましたね。そして光秀が敗れたとは言っても、死んだとは言わない。

三年後になって、光秀が生きているという噂が出てきます。
好みはいろいろあると思いますが、私は、光秀が南光坊天海になるという結末だけはしてほしくなかったんです。そういう説があるのは事実でも、歴史学的に認められていない説を採用して安易にハッピーエンドに導いたら、私にとってはこれまでのドラマが台無しになるんです。でも、そうはしませんでした。だからと言って、落ち武者狩りにやられる結末にもしなかった。

ただの風説かもしれないが生きているかもしれない…そして、天海として堂々と再登場するわけでもありませんから、光秀という存在は、死んだのではなく消えていったんですね。なにか、風とともに去りぬって感じでした。
駒が市中で見かけたのは他人の空似でしょう。光秀の顔は知る人は知っていますから、あんなところで堂々と闊歩してるわけがない。ただ、人々の心の中にはああやって、幻影のように生きてるんですね。

最後は馬に乗って疾走するシーンでした。
あれも、私は光秀生存を表現しているとは受け取りませんでした。光秀の生涯を象徴して、乱世を駆け抜けていった男、というイメージ映像だと思いました。
ともあれ、視聴者によっていろんな解釈の仕方をさせるような終わり方です。非常に良かったと思います。

ちなみに本能寺の変のあと私の書いた光秀の最期は、思いっきり「無念」なシーンだったんですよね。朝廷や足利義昭からの密命を受け、日本の「かたち」と自分の家臣たちの生活を守るため、忠節と正義を尽くして信長を討ったものの、秀吉が誰も予想できない速さで戻ったのでみんな日和見を決め込みます。結果、秀吉が勝ってしまったので、光秀は朝廷からトカゲの尻尾にされます。そして「後世の誰が何と評価しようとも自分は間違っていなかったはずだ」との信念と無念を込めて、「心しらぬ人は何とも言はばいへ身をも惜まじ名をも惜まじ」を残すという。

光秀は、実際には本能寺の変の後が誤算続きで、無念だったと思います。だから、無念無念という最期を描くのは簡単で、後味のサッパリした最期を描くのは非常に難しいと思います。こういう終わり方もできるんだなあ、と感心しました。私はなんとなく、『炎立つ』の藤原泰衡の最期みたいな予想をしてましたので。

一方、予想と期待どおりだったのが、光秀が天下泰平の夢を家康に託したことです。光秀自身の手では実現できなかったけれども、家康が光秀の志を継ぎました。
秀吉は、積極的に本能寺の変の黒幕になったわけではなく、細川藤孝を通じて事前に察知して、「これはチャンス」という感じで動く立場でした。

ひとつ期待外れだったのが、黒田官兵衛がせっかく出てきたのに何の役目も果たさなかったことですか。ここは官兵衛らしく、どうすればいいのか狼狽する秀吉に、「これで天下は殿のものになりますぞ」と囁くシーンでもっと凄味を見せてほしかったです。秀吉が最も恐れた男は家康よりも誰よりも黒田官兵衛ですから、一瞬だけの登場でももっと空恐ろしさを出してほしかったな。