今の日本に、言論の自由はありますか?

日本は憲法に言論の自由を定めています。基本的には、思想・信条の自由とあわせて、自分の思ったことを表現してよいことになっています。

しかし、だからと言って何でも言っていいわけではありません。
わかりやすい例としては名誉毀損。言論の自由があっても、他人の悪評を広めて陥れる自由があるわけではありません。
それとか、いじめにも言葉が使われることがあります。パワハラ、セクハラの類も言葉が使われることが多く、「言論の自由だから何を言ってもいい」という理屈は通りません。

言論の自由とはいえ、「言っていいことと悪いことがある」わけです。


その一方で、人間には「失言」もあります。ついウッカリ「言って悪いこと」と言ってしまった場合です。あるいは、言って悪いことを言うつもりがなくても、言葉の選び方など表現が不適切で、誤解を起こして誰かを傷つけてしまうことがあります。
「そんなつもりじゃなかった」というのは、誰にでも経験があるでしょう。

そんなつもりじゃなくても、「言って悪いこと」と言ってしまった場合は、素直に謝らなければなりません。
ところが、私は今の世の中は「言って悪いこと」に対して、あまりにも不寛容だと思います。

失言をしてしまったとき、謝罪する人と、あくまで正しいと強弁する人がいます。
あくまで正しいと強弁した場合、屁理屈が上手かったり、過激な考えの持ち主が賛同したりして、あるいは「勝てる可能性」があります。一方で、謝罪した場合は自分の非を認めるわけですから、「勝ち」はありません。間違ったことを言って勝つ必要なんてない、というのが正しいでしょうが、しかし負けた時、それを世の中がどう扱うかが問題です。

「失言でした」と自分の非を認めたら、それにつけこんで「謝ってすむことか」と、無限大に責任を追及されるリスクが発生します。この不寛容さが、かえって、「強弁したら生き残れるが、謝罪したら終わり」という状況を生んでしまいます。

なんでも謝れば済むとは言いません。

ただ、特に匿名性の高い世界、現代ではネット社会も加わりますし、古くからあるのは「群衆」とかいうものも含みますが、そういうものに徹底的に叩かれます。
叩くほうは集団のうえ匿名状態ですから、失言があっても責任を負いません。そういう責任を負わない立場の人から、日常生活の憂さ晴らしのように際限なく個人攻撃を受けるリスクがあります。
なんでも謝って済むわけではありませんが、謝って済むようなことでも、バッシングの対象にされてしまいます。

そういう世の中では、常に「言葉」に気をつけないといけない。言葉を間違うと、(社会的に)殺されかねません。たしかに「言って悪いこと」を言った人間に非がありますが、そこまで言葉が狩られる社会に、自由があると言えるのでしょうか。


2001年9月11日に、アメリカで、同時多発テロが起きました。
犯行に及んだのはイスラム過激派組織で、そこからアメリカはアフガン戦争に突入しました。
9.11テロは、民間の旅客機を複数ハイジャックして、その飛行機をビルや国防総省に激突させるという信じられない方法で、多数の犠牲者が出ました。
アメリカが怒るのは当然でしょう。

この当時、私の周辺でも、このショッキングなテロの話題でもちきりでした。

私はその時、こういうことを言いました。

「民間人をこんなに巻き添えにするテロは、どんな理由があっても絶対に許されない行為だ。ただ、イスラム過激派がアメリカをそこまで憎む背景には、アメリカがイスラエルびいき過ぎて、アラブに不公平という事情もある。テロは絶対に悪いが、アメリカも正義の味方じゃない」

これはリアルでの発言ですが、周囲の同僚に猛烈にバッシングを受けました。「テロ擁護」と言われました。
私は大前提として「テロは絶対に許されない」と前置きしたので、そこをもういっぺん強調して「テロは絶対に悪いが、背景の話としては…」と説明しましたが、アメリカのことを少しでも悪く言うのは許されないということで、まわりの人(事件とは何の関係もないんですが)に謝罪させられました。

テロ犠牲者の遺族の前で言うのは不謹慎でしょうが、まるっきり関係ない場所で、テロの起きた背景分析として言ったことまで、許されなかったんです。

世界史、あるいは世界情勢を少しでも知っていたら、アメリカがイスラエルびいきでアラブ諸国に冷たい不公平な国であることなど、常識です。
そして、イスラム過激派がアメリカを恨む理由も、そこにあることは明白です。

たとえば、地下鉄サリン事件に関わった人には、高学歴の、能力的には「優秀な」人が多数いました。そんな人たちが、なぜこんな犯罪に手を染めてしまったのか…それを考えるときに、社会のこういう部分に矛盾があったからじゃないか、というような分析があるでしょう。

そういう分析をした人は、社会が悪だからサリン事件は悪くなかったと主張したことになるんでしょうか。
私は、アメリカの不公平な態度が9.11テロの背景にあると言っただけで、テロ行為は明確に否定したのに、テロ肯定論者と言われました。

世論が集団心理的にどっと一方に向けば、それとは異なる意見の存在は許さないという形になります。

実は私、小池知事が都知事に当選した直後、「小池さんに実際どれだけのことができるか疑問」という発言をネット上でしました。当時は小池ブームの真っ最中。猛烈にバッシングされましたよ。
今、世論は180度変わって、どこを見ても小池批判です。
小池さんの力量に「疑問」を投げただけで私をバッシングした連中は、今はどういうことを言ってるんでしょうか…。


メジャーに反する意見を許さない世の中、そしてどこまでも責任を追及される世の中に、言論の自由があるとは私は思えません。